2005年9月アーカイブ

「不惑」実感

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 20代の頃、40代に対するイメージは「くたびれた土気色」や「諦念」だった。今にして思えば、何という若さの驕りと無知。しかし、その当時は「中年期」に対してその程度の意識しか持てなかったのだから仕方がない。そして、いざ自分がその年代になってみたら、40代は「くたびれた土気色」ではなく、むしろ「壮年期」と呼ぶべきなのだと思った。とはいっても、私自身は決して元気はつらつなわけではなく、以前と同じようによろよろと生きているのだけれど。

 40代になって見ると、20代や30代はまだまだ「青い」と感じる。30代も後半になった頃からようやく経験の蓄積や価値観といったものが何とか体をなしてきて、同時にまだ体力的にもがんばりが効きそうな時期が40代なのではないかと思ったりもする。そんなことを感じるようになったのは、おそらくは自分がもう若くないという証拠なのだろう。近頃、今までは全く気にも留めなかった20代や30代前半とおぼしき人たちの肌の輝きやハリのようなものが妙に目につくようになった。そして、以前は十把ひとからげに「老人」と見なしていた世代の人たちにも、実はそれぞれ個体差があるのだということも気づくようになった。こうして、以前は目にも止めなかったことに新しく気づくことも「加齢の愉しみ」と考えるべきなのかもしれない。ただ、自分の年代が「不惑」と呼ばれることについては、(う?ん、どうなんだろう。実態を反映していない呼び名だなあ)と思う。少なくとも私は、まだ当分惑い続けそうな気がしてならないのだ。

格言・金言

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 ちょっと前のことだが、「チャンスは準備をしている人にやってくる」という「格言」(?)を作ったことがある。これは、主婦の再就職講座の講師をした際に、実際に再就職を実現させた人の共通点を挙げるしたらどんなことか考えたところ、こんな言葉にたどり着いたのだ。たとえすぐに結果が出ないことであっても、目の前のことに真面目に取り組み、経験から得られることを確実に身に付けていく人は、いずれ大きなチャンスに出会ったときにもそれを十分に活かすことができる。だから、普段から地道に準備することが結果的にチャンスを呼び寄せることになるのだ、という意味である。

 この言葉は講座の企画担当者にもかなり好評でしばしば引用された。そこで私もついに「格言・金言」を生み出すことが出来るようになったかとちょっと悦に入っていたら、ある日何気なくめくっていた「世界の名言集」の中にまったく同じ言葉を見つけてびっくり! ちなみに、この言葉を述べていたのはパスツール(狂犬病のワクチン開発で知られる、あのパスツールである)。先方は19世紀の人だからオリジナリティの点で私に勝ち目がないのは明らかだ。ただ、考えてみたら格言・金言のたぐいはある意味普遍的なことを述べているのだから、時代を超えて似たような言葉が生まれてもまったく不思議ではない。とはいえ、相手があまりにも「大物」だとやっぱり、ねえ。そんな訳で、私の「格言」は今ではすっかりお蔵入り状態になってしまっている。

学生による授業評価

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 この夏ある大学で集中講座を担当した。私は通常、授業の最後に無記名の授業評価アンケートを提出してもらっているのだが、それを見ると同じ授業を受けていても100人受講者がいれば随分反応や理解度が異なるものだということが分かる。

 例えばある人にとっては私の授業は「まさに望んでいたもの」で「毎回楽しみ」だったが、また別の人に取ってみたら「期待はずれ」で「最後まで何を言っているのか分からなかった」ということになる。こういう反応に一喜一憂していたら教員などとても務まらないが、だからといって、「学生の評価なんて最初から信用できない」と決めてつけて、授業評価のアンケートそのものを否定してかかる考え方には共感できない。

 不当だと思われる評価があったとしても、それを見たくないからという理由だけで「顧客満足度」を知ろうとしないのは教員の怠慢だと思う。もちろん、学生の評価をダイレクトに教員の評価に結びつけるのはあまりに乱暴だと思うが、教員も「採点される」という立場を引き受けることは大事だと思っている。